ネットが無かった世代から見た隔世感
私の若い世代にはインターネットがなく、学生時代になって、ようやくインターネットが普及し始めた時代だったりします。
私の若かりし頃にインターネットがあれば、どのように自分の考え方が変わっていたかについて書いてみたいと思います。
私が若い頃は、正確には現在もですが、ともかく本を読んでいました。あまりお金がないので、古本屋に行く事が当然になっていました。
現在でもブックオフなどで108円の本などもかなり買うのですが、当時はアマゾンなども無く、常にリアル書店に行っていました。
アマゾンで通販を利用する様になったのはこの数年でしょうか。確かに通販で本などを買えるのはすごく便利ですが、本の場合、中身を見る事ができないので、あまり高い本を買おうという気にはなりません。
逆に家電など、最初からどのような動作をするか分かっている製品であれば全然問題はないのですが。
何かを調べる場合、インターネットは非常に便利です。インターネットがない時代は、すべて本の知識だけだったのですから。
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ネットと通販
ネットでもっとも便利と思うのは通販が使える事になった事でしょうか。
これまで、どこかのショッピングモールなどに買いに行かねばならなかったのですから。
「物を買うため」だけに、わざわざ人ごみの中に行く行為を、インターネット通販は省きました。
実際、私は人混みが嫌いなため、非常にありがたいことです。
とはいえ、それらのweb通販の問題点としては、販売業の発展は極めて急速に進んでいるにもかかわらず、それらの発送側が追いついていないことが現在の問題として挙げられます。
私は個人的にはこれらの物流の問題については、コンビニエンスストアなどを利用し、そこに一時的に商品を留置をすることを標準のサービスとし、個別配送については別料金とすれば良いのではないか、と考えています。
そうする事によってコンビニエンスストアも定期的にお客さんが来てくれますし、運送会社も不在による配再配達などを行う必要がなくなります。
それは社会の「限界のインフラ」としてのコンビニ、物流を支えるうえで必要な選択肢かもしれません。
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インターネットとSNS
とはいえ、ネットが無くて良かったと思うのは、インターネットで若い世代などにおいて、SNSなどで人間関係ガンジガラメになっているのは私は耐えられない事です。
特に今でも私はツイッターなどを全く行うつもりはありませんし、LINEなどにしても、必要最小限の使用しかしません。
確かにラインのタイムラインやメールは便利ですが、それらを書く手間があるのであれば電話をした方が早いのではないか、との気もします。
もっとも、現在メールが発達したおかげで電話をする事自体が、もはや相手にとって失礼になる者の見方もインターネット上では存在するようですが、それは単なるコミュニケーションスキル不足との関連を疑わざるを得ません。
私もプログラミング系の仕事をしていて、ネットには非常にお世話になっているのですが、とはいえインターネットを全面肯定をしようとは思いません。
インターネットは良いところも、悪いところもあるのですから。
特にSNSは個人的には全く使いたくないメディアの一つです。
なぜならば、短文とは非常に誤解を招きやすい伝達方法であるためです。
会話でのコミュニケーションとは、その会話に含まれる感情的なもの、言葉の裏側といったもの、それらに意味があると思うのです。
もっとも、仕事で私は様々な人に接しますが、口先だけいいことを言って、その実、とんでもない人物だったということも多々ありますが。
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ネットは今後どうなるのか
ここからは私の個人的なネットに対するで将来的な推測です。
実は私はネットは、必ずしも全肯定されるべき存在ではないのではないか、と考えています。
先ほども書きましたが、SNSになどによって、人間関係が、がんじがらめにされていく事のデメリット、また、この記事ではでは詳しく書きませんが、インターネットとはSEO(検索エンジン最適化)などの悪用などによって、いかようにでも言論を操作できる媒体です。
そのため、ネット自体の信頼性というものが今後下がっていくのではないかと考えています。それはネットの情報を、「検索結果としての信頼」という意味においてです。
確かにネットは人間の生活を便利にはしましたが、どのような情報であれ、それを利用しているのは人間ですから、ネットは便利ですが、ネットには利用されないような利用を心がけたいですね。