私は鉄道には全く詳しくないのですが
私は鉄道について全く詳しくはないのですが、それでも私は自分の街の鉄道の駅の付近の過去の写真を検索することがあります。それは自分の住んでいる街の過去の風景を知るために検索するのです。
それは鉄道の写真とは、どの時代にも鉄道写真を撮ることを趣味としている方が多く存在し、それらの鉄道の周りの風景をかなり詳しく知ることができるためです。
別に私は仕事で歴史を調べる必要などないのですが、それでも自分の住んでいる場所の付近の20年前や30年前がどのような風景であったかを知るのは、非常に知的な興味を誘われるものです。
鉄道とは、一旦レールを設置してしまえば、そのレールは短縮されることはあっても、そのレールの設置場所が移動されることはほとんどありません。そのため、鉄道の写真を撮る=定点観測、としての鉄道の周りの風景を保存するということです。
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歴史は「残らない」
むしろ写真などにおいては、日常生活のほうが写真の記録として残らない、と言われます。
つまり人間とは特別な買い物をしたであるとか、もしくは特別な思い出を記憶するために写真や記録を残すためです。
今、言われているオリンピックなども同じですが、それらの特別な行事については記録は多数残るのものです。ところが普段使っていた包装紙や買い物のレシート、それらは至る所に当たり前のようにあるため、それを残そうとは、あまり誰も思わないものです。
我々が自分の街について、かつての歴史を調べる時、その街で起こった特別な出来事については簡単に調べることは比較的かんたんですが、それとは逆の、その街の商店街はどのように移り変わったのか、や、その町の住宅地が出来る前はどのような状態であったか、などの普通の人々の生活は極めて記録に残りにくい状況です。
そのような意味において、鉄道の周りの駅などの風景とは、鉄道写真を趣味とする人々の写真によって、比較的調べやすい状態ではと言えるのではないでしょうか。
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鉄道はライフラインとして未来に残すべき存在
今、路面電車などが少子高齢化などによってその必要性を見直されています。また、それは現在の人口減少の社会においてはコンパクトシティなどと言われるように、街の機能を1箇所に集約することによって、より効率的な行政運営ができるとも言われています。
鉄道を廃止することは容易いことかもしれませんが、鉄道を残しておくことにより、その街の人口減少に対する展望、もしくはそのような状態になった際により良い街として再開発をすることが可能になるための、重要なインフラとしても再評価されてよいのではないでしょうか。