書評「釧路・根室の簡易軌道」文化的意義として移動手段を後世に残す意味

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釧路・根室の簡易軌道の資料性の高さ

1000円の価格であったので、パンフレットのような本かと想像していたのですが、実際に現物が届くと、カバーのないカラー表紙の本ではあるものの、非常に作りがしっかりとしています。厚みは1.5cm程度でしょうか。

また、資料性が非常に高いです。路線図、切符、そして、当時の利用者の証言、まさしく文化的遺産として残しておくための記録として読む事ができます。

当時の鉄道という交通機関としての意味のみならず、その背景にある一般の人々の生活をも透かして見る事のできる一冊と言えます。

当時の、その地域における生活を鉄道部分から定点観測した記録と言えるでしょう。

鉄道という枠組みの、最も簡易な手段、かつ、北海道の開拓の手段として設けられた簡易軌道の、これほどまとまった資料は、他にはなく、唯一無二の存在と言えるでしょう。


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ちなみに私は鉄道についてあまり興味はありません

ではなぜ、、この本を買ったのか? と問われると、北海道における開拓時代の、そして、昭和中期までにおける一般の人々の生活と、「生活の手段としての簡易軌道」を知りたく、購入をしました。

購入は根室市立博物館に直接、小為替を送る事によって着払いで本が送られてきます。全体の金額は千数百円といったところでしょうか。



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文化を残す意味で、このような本は好意的に考える

行政機関が、その地域に存在した鉄道の全貌を行政の役割として残す事私は大いにアリだと考えます。

なぜならば、鉄道とは今のJRが元々は国有鉄道であったように、人々の生活と密着した手段であるからです。

そして、鉄道がモータリゼーション、いわゆる自動車の普及によって淘汰されていった結果、廃線が行われている現在、特に北海道などにおいては、かなりの路線が廃止になっている現在の状況があります。

文化とは特別な存在ではなく、それが人々の日常に入り込んでいるものほど、後世に残りにくい、との話を大学の講義で聞いた事があります。

なぜならば、人々は特殊な物や希少価値のある物は、それを進んで保存し、そして、後世に伝えようとします。

しかし、ありがたみのない普段の生活に使っている物は、その時代においては希少性がないため、粗末に扱われ、その結果として当時は誰もが使っていたにも関わらず、後世、その資料が残っていない事態が多々発生するのです。

特に鉄道においては、今でこそ趣味的な対象となっていますが、鉄道の本来の役目とは、あくまでも移動、輸送のための手段であり、そして、生活の手段としての存在ですから。

そのため、いわゆる鉄道法によって作られた存在「ではない」、すなわち、本書に描かれているような簡易軌道であれば、その存在自体が交通インフラの歴史における重要な物的証言者と言えるでしょう。


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資料集は資料の散逸を防ぐ意味もある

そのような意味で、いわゆる鉄道ファンに向けた本作りではなく、その地域における交通インフラの一時代の資料の散逸を防ぐため、このような資料集としての本を作る行為は非常に意味のある行為であると私は考えます。

どちらにせよ今後、日本国は人口減少によって様々なインフラは縮小せざるを得ないのですから、資料を作り得る時に作る行為は、地方独自の文化を後世に記憶を紡いでいくために、重要な文化的意義のある手段です。

また、それらの資料を現在持っている人は、恐らくは鉄道が好きな方でしょう。

自分の持っているコレクションが後世にとって意味のある存在として掲載される事は、それらのファンの方々にとっても喜ばしい事ではないかと考えます。

本書は鉄道ファンの方にとって読み物として楽しい一冊である事はもちろんですが「簡易軌道」という特殊な鉄道が、いかにして人々の生活と関わっていたか、日本の北海道における開拓の一時代を示す資料集として、鉄道の背景にある人々の生活を想像しつつ、非常に楽しく読む事ができました。

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