問題を「あえて」ほったらかす、という選択肢のメリットについて

私の場合プログラマ、システムエンジニアという働き方をしているのですが、これらの業務を行う上で重要なのは問題の優先度の考え方ではないだろうか、と最近思っています。

例えば、ある問題は非常に重要ではあるが、納期がまだまだ先という場合は、それをあえてほったらかしにする、ということも十分に選択肢としてありうるのではないでしょうか、とういうことです。

ただ、それは正確には放ったらかしにしっぱなしにするのではなく、頭の片隅で、その問題を考え続けるという行為であるのですが。



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実は、先月、休日前に会社で、とある重大な問題が発生して、できればその問題を優先して休日を潰したほうがいいのか、という考えも思い浮かんだりもしたのですが、それでも「あえて休日を強行する」という手段を取りました。実際、その後、なんとかその問題は解決しました。

問題が発生している場合、頭に血が上っていて極めて視野が狭くなっているということも事実として十分ありえるのですから、あえてわざとその問題から離れる、という選択肢もあって良いのかもしれません。

結局、目の前に問題が生ずると、それを解決するために極めて狭い視野の視点に基づく解決策を行おうとするように人間は行動を行ってしまいがちなものです。それが一定程度冷静な気分になるとそれらの問題作の解決に対して、より幅が広い選択肢を自らが与えることが可能なのではないかと思うのです。

もちろん、その問題が極めて重大な問題や、緊急を要する問題である場合は、少なくともその問題に対応するふり、をするというのは必要でしょう。

例えば出先のクライアントで起こった問題などについては、即座に対応をする必要があるかもしれません。

とはいえ、少なくとも問題を解説しているふりをすることによって先方の気分は一定程度和らぐという効果はあるでしょうから。


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もちろんそれは時と場合また 重要度にもよりけりなのでしょうが…。

ちなみに私が一番困るのは取引先に導入したシステムが突然止まる、しかもそれが極めて重要な基幹システムである場合、否応なく当日対応せねばならない、ということがあるったりもします。

そうなると1日はスケジュールがぐちゃぐちゃになってしまうということがあります。

もちろん私たちの問題ではあるのですが、しかし、その問題が発生する原因がわからないということが現実的にあるのです。

問題に対するアイディアを考える、というのは、割と、どんな空間、時間でもそれが出来ます。また解決策を複数出しておいて、それを現実の問題に対していかにして適用できるか、という事を考えるほうが後々精神的に楽だったりもします。

そのような意味で、その問題から一定の距離、一定の時間を置く、ということは意味がある行為かもしれません。

それはある意味では問題を頭の片隅に放置しておき、それをゆっくりと考えるという手段 、とも言えるかもしれません

結局人間とは考えたそれまでの知識経験に基づいて判断となりますが 、必ずしも人間は常に同じ答えを出すものではありません

それはその時の感情、そして経済的状況、家庭の状況、職場の状況などに左右されてしまいものです

そのために考える時間の余裕を得るということは、より良い 解答を導き出すための秘訣とも言えるかもしれません



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一番良いことは、それらの問題は往々にして何らかの問題が起こる前兆があるものです。

いわゆる我々の業界用語で言えばヒヤリハットの状態です。

日々、つぶさに観察し問題の原因がが小さなうちに対応するということが一番良いのでしょうけれど、日々の業務に追われる中で、そのような余力がないということも、また現実的な問題であることも確かです。

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