日刊新愛媛を考える 愛媛には地方紙が2つあった 書評「新聞が消えた!」

書評「新聞が消えた!」

前半はまあ、「古き良き時代の新聞記者の回顧録」なのですが、後半が圧倒的に面白いです。イケイケドンドンの新聞社と、そこに介入するオーナーとの攻防、そして行政との軋轢と衰退。まさに「事実は小説より奇なり」を地でゆく圧倒的な面白さ。また、著者のオーナーに対する率直な意見も非常に読み応えがあります。回りくどい文章よりもストレートな文章がいかに力強いかを示す一冊です。



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イケイケドンドンの時代の新聞として

この本を読んでいると、ある意味で時代というものを非常に考えてしまいます。今であれば到底許されないような働き方をオーナーがグループ企業に指示し、その結果として四国一と言われるまでの新聞の発行部数を日刊新愛媛は得ることになります。

しかし、皮肉にもオーナー本業たる造船業が傾くことによって、そのとばっちりを食らうのがこの新聞となり廃刊となってしまうのですが、ある意味ではイケイケドンドンの時代の波に乗った新聞であり、そしてそのイケイケドンドンの手法を誤ったがために政治的な取引に巻き込まれてしまったが故の廃刊と言う一面も持っています。

とはいえ愛媛県に2つの新聞が存続していたならば、今とはまったく違った愛媛県になっていたかもしれません。やはり地方紙が一つと言うのは、それはどこの地方都市でも大体そんな感じなのでしょうけれど、二つの新聞があることにより、それぞれの新聞カラーというものを出そうと努力するでしょうし、また、報道に置いても非常にクリアな報道体制となるのではないかと考えてしまいます。



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ある意味では時代の象徴です

この日刊新愛媛の廃刊についてウェブメディアが存在しなかった時代であるがための廃刊と見ることもできます。

今であれば確実にウェブ版に移行したことでしょうし、数人で命名権だけを買い取り、存続させるような手法もありうるかもしれません。もしくは、「日刊新愛媛スタッフによる、ウェブ『NEW愛媛』」などの命名方法もあるでしょうし。

是非とも今、新愛媛を復活させると面白い、とも思ってしまいます。もちろん、その場合は「旧」日刊新愛媛とは、まったく違った考え方をする必要はあるでしょうけれど。とはいえ、ウェブでの地方メディアの可能性は十二分に存在すると思います。



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そもそも新聞自体が大変なことになっている時代のような気が

とはいえ、現時点で新聞という媒体自体が、もうかなり大変なことになっているような気がします。

もはや20代30代の人は新聞を読まない、もしくは読んでもあまり信用しないと言う風潮が出ているような気がします。実際に20代30代の人々にとって情報を得る媒体とは新聞やテレビではなくwebとなっていますし。

現在新聞を読んでいる層とは、50代以上の世帯ではないでしょうか。その世代の方が徐々にフェードアウトしていくとき、新聞もフェードアウトという風になってしまうのかもしれません。

本書を通じ、過去の新聞の新設から廃刊までを俯瞰的視点で見ると、今後一体新聞とは、どの様な形になるのか、考えざるを得ませんでした。

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