先日彼女とドライブに行きました。
土曜日の夜だったのですが、私の住んでいる、ある地方都市から、その市の隣の別の市に行くべく峠を越えようとしてました。
私の家は割と市の中心部の近くにあるのですが、そこから自動車で隣の市への峠に行くまで、だいたい15,6キロ程度あります。
で、ガソリンが無い。そんなに燃費が悪い車ではないのですが、さすがにインジケーターが残り1目盛りだと不安ですね、と。
その道は幹線国道ということもあり、まさか土曜日の夜にガソリンスタンドが開いていない筈はないであろう、と思いながら行ったのですが、
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国道沿いにガソリンスタンドがない
見事に1件も空いてないのですね…。
市の中心部から峠までガソリンスタンドは10件近くあるのに…。
そのためしょうがないので超省エネ運転で行きました。まあ、なんとか目的地に到着できたので良かったのですが本当に今地方部から活気が失われているように思えてなりません。
ちょっと、普通ありえないかな、と思います。
土曜日の夜はサタデーナイトフィーバーという言葉にも代表されるように(死語だな…。)、若者が夜を徹して遊ぶのが当然の日だと思いますし、当然、そこには地方都市であれば自動車を使うのが自然といえるでしょう。
ちなみに私が通った道は、いわゆる幹線国道であるため、走り屋と呼ばれる若者は存在していませんが、メインの通りから外れた峠などでは、土曜日の夜になれば、夜な夜な若者たちが集まり、タイヤを鳴らしながら峠道を走るという行為が、かつては普通に行われていました。
もちろん、それが法律的に見て、望ましい事かどうか、は、さておきの話になりますが。
しかし、現実には土曜の夜でさえ、市の中心部から隣市への主要な幹線国道への峠までの間にガソリンスタンドが1件も営業していない、それは深夜とはいえ、明らかに社会的なインフラの縮小と言えるのではないでしょうか。
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社会インフラ縮小の原因として
それらの原因としては、社会全体が高齢化、若者が車を持てない経済状況、スマホが車を購入するだけの金銭的余裕を奪っている、など色々とあると思うのですが、それらの問題を総合して言ってしまうと、現実的に経済の縮小が生じている事にほかなりません。
また、自動車に限って考えるならば、そこにハイブリッド車などによる高燃費の自動車が普及することにより、ガソリンの絶対的な消費量全体の縮小、また少子高齢化によるドライバーの絶対数の不足などの問題もそこに存在するのでしょう
今からそう遠くない過去において、若者は車を持つ事は、二十歳を過ぎればもしくは社会人になれば当たり前のように行われていたことです
そして特に私の出身の地方などでは、
「男性は車を持って当たり前。軽自動車では恥ずかしい」
そんな価値観が一昔前まで生き残っていました。とはいえそれは未だに地方部ではそのような価値観は生き残っている地方もあるようですが。
現在、私はある地方都市部に住んでいるのですが、そもそも車を持っていないという若者をかなり散見することができます。
現実的に、ある程度の都市の規模になってしまえば鉄道網なども完備されていますし、またバイクや原付があれば、ほぼ、すべての生活が完結してしまうという状況であることも確かです。
それについてそれに対して地方は未だに車がなければそんな生活自体が成り立たないという状況なのですから。
これらは私の小さな発見だったのですが、おそらくこんな事は将来的に、しかも近い未来、嫌という程経験していくのでしょう。
この国の社会は縮小しています。そして、人々の生活レベルも低下しています。それを我々はしっかりと認識するべき時期が来ているのではないでしょうか。
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