電子書籍リーダーの「正しい」使い方、文化の破壊ではなく継承として

完全に「目的外」での電子書籍リーダーの使用方法について

楽天koboの電子リーダーを買ったのですが、かなり最近使っています。青空文庫や、自炊したデータを読むために、ですが。
ただ、私は電子書籍そのものに反対している立場だったりします。

その理由としては実際に私も楽天koboを使って思ったのですが、電子書籍とは本ではありません。

確かにコンテンツを先頭から読んでいくという意味においては良い機材かもしれませんが、それは本を読むのではなく情報を読み取っていくという行為なのですよね。

本来、読書とは物体としての書籍を購入することにより、「物体としての書籍を購入し、それを読むことによる行動そのものを記憶をする」ということが、本来の書籍の購入し、読み、考え、記憶する行為の一番大きい意味なのかもしれません。

あまのじゃくな使い方としての電子書籍リーダーの使い方の一例を書いてみたいと思います。

電子書籍で読むべきは小説、エッセイのたぐいでは

先頭にも書きましたが電子書籍とはランダムインデックスにおいては非常に劣る存在です。先頭から読んでいく小説などの読み物であれば良いかもしれませんが、途中でパラパラとめくったりすることは不可能ですし、また自分の読みたいところを書籍から探し出すことも有効にも非常に手間のかかる行為です。

これは今後電子書籍リーダーがいかに進化したとしても、紙の書籍には絶対に敵わない事でしょう。



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電子書籍でしか出版できない作家は、「それなり」のレベル

また、「電子書籍でしか出版することが出来ない」書籍とは、つまり「紙の書籍に出版するだけの価値がない」と思われてもやむを得ないのかもしれません。実際、私は電子書籍のコンテンツを購入するつもりは一切ありません。



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これで実用書を読むには物足りない

そのため実用性という意味においていわゆる書籍に書き込みをしたりそしてドッグイヤーなどのページのメモしていくな行為が出来ないのですから実用書や学習書といったものには全く向いてない存在でしょう。



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文化を継承するものとしての青空文庫

では私は一体電子書籍リーダーのここで一体何を読んでいるのか。それは青空文庫の過去の作品を読んでいます。

青空文庫とは著者が亡くなってから50年経過することにより著作権が消滅したテキストをウェブ上に公開している作品です。

この青空文庫はウェブページなどでも読むことができるのですが、これをkoboに取り込んで読むことにより、非常に読みやすい状態となります。確かにこれらの作品を「先頭から」読むためのガジェットとしては電子書籍リーダーは非常に便利な機材であると言えます。

文豪、偉人たちのエッセイが特に読みやすい

特に私が非常に便利だと思うのは過去の偉人たちのエッセイです。これらは原稿用紙にするとだいたい5枚から10枚程度だと思うのですが、ウェブページで読むと非常に目が疲れたり、読んでいるという感覚に非常に乏しいものですが、これらのデータをkoboに取り込むことにより、読書に近い感覚で読むことができます。

ちなみに私は小説は読みません。ただ、今回Koboを手に入れたので、中編程度であれば古典の小説は読んでみてもよいかな、とは思いますが。

数千円で過去の叡智をほぼ無限に楽しめる

実際に青空文庫では一万点以上の作品が公開されていますし、文豪と言われれる人々のエッセイや短編などは数分から10分程度で読むことが出来ます。

インターネット上には玉石混交のテキストがありますが、koboを使うことによって、ほぼ無限に過去の良い作品を読むことができるのは、非常に大きなメリットではないでしょうか。

つまり、現代の機材である電子書籍リーダーを現在のテキストを読むためではなく、過去の作品を味わうために使う。これこそが本当の意味での文化を継承していくための行為ではないかと考えています。

まあ、電子書籍リーダ、その環境を構築した販売者の意図とは全く異なる使い方なのですが、どちらにせよ私は電子書籍リーダーで新刊を読むつもりは全く最初からありませんでした。

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