基本、あまり変わっていない
かつて保存しておいたハードディスクを整理していると、10年前の自分の写真が出てきたため、若干のノスタルジーとともにそれらを見ていたのですが、基本、あまりに何も変わってないような気がします。
自分の考え方もあまり変わってないですし、また生活のスタイルですら、仕事内容こそ変わっているものの、仕事に対する取り組み方、意識はあまり変わっていない、そんな気すらします。
それらから考えると、自分の延長が10年後に存在する、そんな考え方で人生の設計をしても良いのではないか、と思ってしまいます。
もちろん、そこには肉体的な衰えは生じるでしょうけれど、少なくとも精神は今と同じ、もしくはそこの延長上にある、という考え方で良いのではないでしょうか。それは自分の「個」があると考えるとも考えることができますし、皮肉的には「あまり変わらない」とも考えることができます。
まあ、せいぜい自分の生活において技術的な部分で大きな変化があったといえばスマートフォンを一定程度、私も仕事で利用することになった事くらいでしょうか。
とはいえ、私はスマートフォンについて非常に懐疑的な見方をしているのですけれど。今でもガラケーの方が便利なのではないかとさえ思っています。
ガラケーの電池の持ちの良さそしてバグの生じなさ、などなど。スマホを使うようになった今ですら、スマホはパソコンの出来損ない、としか思えません…。
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自己顕示欲は使い果たしました
実際の所、私は10代はそれなりに自己顕示欲があって、色々と「試行錯誤」を行っていました。
それらを書いてゆくと、近年見られる「意識高い系」ブロガーになるので、書くつもりはありませんが、それらの「試行錯誤」を行ったがゆえに、今の「社会の影」に徹する自分があるのかもしれません。
むしろ、そんな意味では、今の時代の、物心ついたときからスマートフォンが存在する世代は自己顕示欲について、それ以前の世代と、かなり異なった部分があるのかもしれません。事実、自分の名前を広めようとすれば、いかようにでも広げることができるのですから。
とはいえ、それらの自己顕示欲をコントロールする術を知らない10代が、極めて簡単に情報をウェブ上に発信することができるスマートフォンを手に入れ、「使う」事が、本当に人間に対して幸せをもたらすのか?
私はそれに対して非常に懐疑的に思います。
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技術は身につけるものではなく、身につくもの
技術的な部分については、仕事で使っているものとの関連は多いにあるのですが、基本としては、自分が楽しいと思った部分だけを重点的に勉強すれば良いのではないかと思います。
そして、それをいかにして自分の仕事に結びつけてゆくか、また、それに対する会社への自分からの働きかけも必要でしょう。
なかなか待っているだけでは、自分の思うような仕事にはできないのは確実なのですから。そうであるならば、現状に存在する環境を利用し、自分の行いたい仕事にしていく、そんな考え方でも良いのかもしれません。
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人間は、なりたい方向にしか、なれない、現実として
私はカラ元気的な,根拠のないポジティブ論は好きではありません。ただ、自分が「こうあるべき」とする指針は作らないと、会社の思うがままになってしまうことも確かでしょう。
私の場合、何度か転職し、そのたびに「少しの共通する分野+畑違な分野」に転職したのですが、それがようやく、今のところ、なんとか今までの経験を活かしつつ、定着している、そんな感じでしょうか。
無論、今後も私の人生は様々な変化をするでしょうけれど。