「イワン・デニーソヴィチの一日」を読む、淡々と記録された「人類の失敗」

この本はソ連に置ける強制収容所手の収容者の一日を描いた一冊です。

それは淡々と作業が書かれているだけです。ただこの本は小説という形式を取っていますが、実際にこの様な生活が何十万人もの人々に強制され、そしてそれはシベリア抑留と言うかたちで、日本人にすら強制された事実なのです。

私の祖父はソ連に抑留されていました

なぜ私がこの本を読もうかと思ったのか。それは私の祖父が敗戦の際にシベリアに抑留されていたためです。戦争は個人の意思とは関係なく個人の人生を変えてしまうものです。

ちなみに父を通じて聞いた話では、祖父は強制収容所のパン工場に配備され、焼けたばかりのパンを自分の手で小さく圧縮し、そしてそれをポケットに突っ込み、ちょろまかしていた、という話を聞いています。

祖父は幸いにして日本に戻ることができましたが、しかしソ連の強制収容所で多くの日本人が亡くなったことはこれは厳然たる事実です。

ちなみに私は祖父の顔も見たことが無いため、祖父の記憶は一切ありません。なぜならば祖父は私の父が若い時に亡くなってしまったからです。

淡々と、一日を書いた一冊

この小説は淡々と強制収容者の生活の一日を描いています。そこには大きな出来事はなく、何を食べた、どんな作業をした、そんなことが淡々と書かれています。

厳冬の強制収容所における、作業。そこでの人々の極限的とも言える、生活。

もちろん言うまでもありませんが、この様な強制収容所においては実際の映像や写真といった記録は極めて少ないでしょうし、そのような中で文章として強制収容所での生活の記録が残されたことは非常に意味のあるものではないでしょうか。

それはソ連という政治の失敗の国家として、また、その国を操ったスターリンという独裁者のために生まれてしまった、強制収容所の記憶を後世に伝えていく事は、その前提となった思想を含め、「人類の失敗」を伝える上でも、絶対に必要です。

人類の「失敗」の記録として

特に、この手のドキュメンタリーは、書き手の思想が現れてしまうため、実際に収容されていた人が淡々と記録を残すこと、それはソ連という政治体制の失敗の最悪の部分を丁寧に記録したのと全く同義語です。

この小説が発表されたのは当時のソ連ですからスターリンやソ連の政治体制そのものに対する皮肉の記述は一切ありません。しかし、淡々と描かれる強制収容所での生活とは、それは非人間的な生活を収容者に押し付けるソ連の失敗体制そのものと言えるでしょう。

大きな声でがなりたてるのではなく、淡々と語る、その方が言論としては意味を持つ、そんなことを実感させる一冊です。

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