小説を読めない理由、読まない理由 虚構の世界としての小説への違和感

読書はするのですが、小説は読みません

実は私は小説については20年近く、読んだ事がありません。その代わりとして、ドキュメンタリー、ルポタージュなどの本は多数読んでいるのですが、なぜ小説を読まない、むしろ、読めないのか、その理由を書いてみたいと思います。

小説とは、誰かが作った世界の中に自分が没頭し、そして、そこでの感情移入や物語の中に自分を置く事です。

もはやその行為自体が私の感覚の中で受け入れられない行為と思ってしまうのです。それは小説でいくら面白くても、それは小説の作者が作った虚構の世界の中をさまよっていることに他ならないのですから。

何か、それが「負けた」、という気になるのです。

それは負け惜しみの感情かもしれませんが、誰かの作ったフィクションの世界の中で生じる「面白い」出来事よりも、現実の世界で起きている事件のほうが、事実としてはるかに面白い、と思ってしまうのです。実際、先のアメリカ大統領選挙において、一体だれがトランプ氏が当選すると思ったでしょうか。

とはいえ、小説の中で行われている「虚構の世界」に納得し、そこを楽しむことができるのであれば、それはそれで楽しいと思うのですが。実際、私も高校生の時は三島由紀夫にハマって、乱読していましたし。



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現実を考えることのほうが面白い

ある意味で、実社会での意外性は、それらを小説の中で書くと、まるで荒唐無稽な小説になってしまうのですが、しかし現実の世界に起きている事が、荒唐無稽な小説よりもさらに驚くべき事態になっている現実の方が、面白いと思うのです。無論、そのためには社会を認識するための前提となる知識は必要ですが。

世の中とは、そのような意外性に満ち溢れた世界ですなのですから、それらの現実をより面白く、自分とって興味があるように捉え、知る行為を行うための知識を増やす方が、小説よりも面白い現実の楽しみ方のための読書なのではないのか、と私は考えています。

私は今パソコン関係の仕事しているのですが、学生時代は全然それとは全く無縁な事を勉強していました。しかもバリバリの文系だったりします。

おそらく、学生当時の私に「将来、君はパソコン関係の仕事を行う」と伝えたところで、全く信用することはないでしょう。むしろ逆に、当時の私はパソコン嫌いとも言えるような状態でしたから…。

そのような事を考えると、小説を読むことよりも、現在進行形である自分の人生そのもの方が、俯瞰的に見た場合、小説よりも面白ではないのではないのか、とも思ってしまったりします。



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本を読む時間がない?そんなことはないです。

自分の人生において、本を読んでその知識が何かに直接役に立つとは、受験のときくらいでしょう。しかし、本を読み、社会を様々な視点から捉えることは、確実に人生にとっての投資です。

しかし、書籍から得たさまざまな知識や考え方は、すぐに、ではないにしても、いずれ人生において何らかの影響を与えるかもしれませんし、また、読書という行為自体が自分の人生をより前向きに、良い方向に向けるための「準備運動」のような行為である、と考えています。

テレビのくだらないバラエティ番組、それが2時間であったり、3時間あったりしますが、それらの番組を見る時間があれば、新書の一冊ぐらい読むことが出来ますし、そこで情報を得て、それを自分の人生にフィードバックさせる方が、よほど有意義な時間と人生に実りある時間を過ごすことができるのではないか、と考えてしまうのです。



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