書籍批評 「三島由紀夫 剣と寒椿」 あまりにも事後に価値を付加されすぎた作家の生き方としての根底美意識のヒント

私からの三島事件の見え方

少なくとも私にとって三島事件とは、

「(同性愛による)世間お騒がせ心中」

としか見えないのですが。無論、クーデターを画策していたという思想的背景があったことについては必ずしもすべては否定しませんが、それを最も不可能と実感していたのは三島本人でしょう。氏のニヒリスティックな思想が、クーデターが成功するなどというオプティミスティックな思想を許容したとはとても思えません。

それが政治的な背景(に見えるもの)であるなど、文学的思想、美意識によって本質が歪められているだけではないでしょうか。

特に、右派における歴史的な認識において彼は利用されすぎですから。別にそんな高尚なものではなく、上記の通り、ゲイ心中でしょう、と。それに事後に別の意味を与えたの政治的思惑、思想的思惑による歪曲です。

この本は一体どこまで本当なのか?

ただ、この本、一体どこまでが本当でどこまでがフィクションなのかは不明です。まあ、文学の世界とはそういった虚実ないまぜの楽しみ方を受容することも必要なのでしょう。

そもそも三島が右翼的思想に走るきっかけとなった事件が詳しく書かれていない時点でこの本の内容って…、と、眉唾になる必要はあるかもしれません。

逆に、三島由紀夫の熱心なファンからしたら売名行為そのものとしか言いようが無い書籍かもしれません。結構、ゲイの恋愛、性愛を生々しく書いていますし。

三島由紀夫という稀有な存在と「捉えられ方」

まあ、天才は狂気と紙一重、という言葉が三島という存在を的確に表すものかもしれません。別に当人の性癖がなんだろうと、いかにプライベートが乱れていようと、それと生み出された作品の評価は全く別物だとは思いますけどね。あまりにもその最後がセンセーショナルであったがゆえの、人生におけるメッセージがすべて歪曲されている感は否めませんが。

ただ、三島の生み出した美しい文章が、すべてその美しい、という基準においてゲイ的思想の裏に基づいたものであることを前提として考えるならば、もう少し彼の文章は別の読まれ方、読み方をすべきなのかもしれません。つまり、自分で美を作ろうとした、その究極の体現が「クーデター未遂」なのですから。それはより正確には「男性らしい行動としての政治的行動」、と認識するほうが正確でしょう。

また、当時流行っていた学生運動に対しての強烈なアンチテーゼの意味もあったでしょう。

ただ、逆に三島が今の時代に現れていたならば、ゲイの事実を公然と発表しそうですけどね。ある意味、三島の文学とは時代が作り上げたものかもしれません。

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