書評 清水草一 フェラーリ曼荼羅 欣求浄土編

この人面白いですね、かなり文体も考え方もぶっ飛んでいて、私はいいと思いますね。

書籍のアウトライン

この一冊は著者がフェラーリ348からフェラーリ512TRに乗り換えるまでの顛末を買いた一冊です。

とはいえ実際には、別のコラムが少なからず数挿入されていて、別の話題もかなり入っている状態ですが。

この人のが出てきたことによって、フェラーリのイメージて全く変わったと思います。 それまで、フェラーリ=スーパーカー、つまり、スーパーカー世代における伝統を引き継いで来たイメージが、この著者がが出てきたことによって、フェラーリは壊れる、真っ直ぐ走らない、高い、そんな、「製品としての性能」は正しいイメージを世に伝えることができたわけです。

私は昔のイタリアのピアジオ社のベスパというバイクに乗ってたことがあるのですが、まさに小さくともイタ車。乗り心地が悪い、うるさい、それはそれはすごいバイクでした。ただ、デザインはものすごくかっこ良いですけどね。国産の原付きなどまとめてポイ、ですよ。

この本の中ではないのですが、この著者は

「イタリア人というのは美しいデザインを作ることには日本人の10倍も努力するけど、壊れない車を作ることには1/500くらいにしか努力をしない」

などと書いていましたが、まさにその通りだと思います。


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フェラーリを買う、という経済循環

ある程度の年収、例えば年収1000万とか、そのあたりになれば、フェラーリとかランボルギーニとか、欲しければ買っちゃえばいいと思うんですよね。

1000万の収入がある場合、結婚なりステディなパートナーが存在する場合が多いと思うのですが、その収入で、不健全な女遊びなどに走るよりは、フェラーリやランボルギーニなどを買って、おのずとそれらは自然に壊れるのですが、その結果として業者に修理代金なりメンテナンス料金なり払うほうが、よほど経済的にも好循環な気がしますし。


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清水草一とフェラーリ市場

清水草一の文章は、ある意味で凄く価値観の多様化もしくはそれまでの価値観の意図的な破壊的に行ったのではないのかなと思います。

他の見方としては、バブル崩壊後景気のドン底状態で、スーパーカー市場がだぶついていた時期に、それまでの「スーパーカー」に対するイメージを塗り替えるため、つまり、どのような人、動機であれ、「スーパーカーが欲しければ買えちゃうよ」、というメッセージを発するために業界全体として作ってきたライターなのではないか、と思うのです。

事実、フェラーリやランボルギーニなど、もともと実用性ゼロですから、全然、ポジティブな意味での業界の活性化だと思いますけど。


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