私の生まれ育った町家の変化について。衰退する町を歩く

今回はかなりネガティブな事を書いています。

私は生まれた場所と、今働いている街は100キロぐらい離れているのですが、仕事の都合上で、自分の生まれた町に何日か程度勤務する事があり、比較的、時間的には自分の思い通りになるような仕事であったので、自分の生まれた町を何年かぶりに散策してみる事にしました。

ちなみに私は自分の生まれた町については、そこに戻ろうとは考えていません。また、その町が良いとも思っていません。そのため市内の中心部などは足で歩いたのは、もう20年ぶりぐらいになるかも知れません。

シャッター商店街と化した中心通り

朝の9時ぐらいの早い時間であった事もあるのですが、それにしても活気がなさすぎです。建物自体は非常に綺麗ですが、これはおそらく行政が支援をおこなっため、そのように綺麗になったのでしょう。また、人の気配が全くありません。また、町に活気がありません。かつて中心街にも比較的大きめの百貨店などがあったのですが、それらは全て撤退し、幹線道路沿いに、全国どこにでもあるような大規模店舗が作られました。

それは全国どこでもある事なのでしょうけれど。



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文化のコピーのコピー

今、私の働いている地方都市も、決して先端的なイメージの街ではなく、伝統に基づく地方都市のイメージが強いのですが、しかし、それでも尚、私が故郷の町を歩いてみると、その街が先端的であるとすら思わせる文化的な落差があります。

私の故郷で働いている人は、一体どのような生活をしているのでしょうか?その人々は、楽しいのでしょうか。週末にイオンにでも行くのでしょうか。



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街の文化は人間の根源である

実際問題として、日本の少子高齢化は現在進行形としての問題ですし、地方の集落は今後、現実的に消滅していくのではないかと考えます。

私は昔からかなり本を読むので、古本屋なども何件か利用していたので、今回、その当時の古本屋を訪れましたが、ほとんどが閉店しているのです。もしくは、業種の転換をしていたり。私の持論として、「古本屋とはその街の文化レベルを表す」と考えているため、古本屋が潰れていく街とは文化レベル自体が衰退している思わざるを得ません。

ブックオフなどの大規模チェーン店の本屋はまだ存在しますが、あれは古本屋とは少し違うような気がします。

これは私の故郷の町の話ですが、おそらくこのような事例は日本の全国どこでも生じている事なのでしょう。今の社会は人口減少が始まりそして、いずれは消滅する地域も出てくるのでしょう。幸いな事に私の故郷は消滅こそはしないでしょうけれど、確実に衰退はし、構造自体が変化しています。

人間と同じように町も生まれ、育ち、衰退し、そして、やがては消滅するのでしょう。特にそれは今の人口減少の社会においては現実的な問題として社会に突きつけられようとしています。

今後も何年かに一度は自分の育った街をゆっくりと観察しようと思います。その行為は自分の生き方を考える上でも大いにヒントになる行為かもしれないと考えました。

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