自動車は進化しているのか?矛盾を追記するデバイスと自動車の今後

人間が扱えない速度領域はすでに100年前に達成されていた

大量生産の一番のオリジナルとして知られるT型フォードがありますが、実は、その時代から100kmのスピードを自動車は出す事ができていたのです。

つまり、100年も前から人間が扱う事が難しい速度を出す事が可能であり、そこへ、エアコンやラジオ、もしくは運転のしやすさなどの、一般的に言えば快適装備付け加えてきました。

しかし、それは逆に言えば、100年前の走行性能から、基本的にはあまり変わっていない、とも言えるかもしれません。今現在、自動車が空を飛んだりするわけではありませんから。


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「環境性能」と「安全性」

環境性能と安全性はある意味で全く矛盾している基準のような気がします。

つまり、片や燃料を使わないための技術、片や多くの安全素材を使って、人間を保護する技術、それらの矛盾を埋めるために自動車メーカーは様々な努力をしていますが。

それはハイブリットであったり、新しいタイプのターボチャージャーであったりします。

しかし、それらは確かに一時的な燃費という意味では良いのかも知れませんが、そもそもハイブリッド車におけるバッテリーの耐久性については私は疑問がありますし、また、ターボチャージャーについては、超高回転をするターボ機材が本当に10万キロ20万キロ使用できるのか、やや疑問を呈さざるを得ません。



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大きく、重く、つまらないものになる自動車

1990年代ぐらいまでの自動車技術の歩みとは、比較的走行性能のみを追求したものと考える事ができですが、しかし、2000年代以降の環境性能や、もしくは安全性を重視する年代になると、自動車はこれまでと全く異なるものとなりつつあるような気がします。

つまり、自動車が燃費を良くする、もしくは人間に対してユーザーフレンドリーであることとは、それは私が個人的に見れば、自動車そのものの面白みが薄れているように思われてなりません。

安全性という意味では、接触事故などで歩行者を保護する意味は理解しますが、しかし、それ以前に交通事故になった場合、問答無用で自動車の方が悪とされる法的な環境デザインに問題があるのではないでしょうか。



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自動運転について、現状では懐疑的です

私はソフトウェア系の仕事をしているのですが、最近AI、つまり、人工知能による自動運転がやたらともてはやされていますが、この自動運転について全く非常に懐疑的に見ています。

なぜならば、それは自動運転そのものは高速道路などに限定すれば、今の技術でも十二分に可能であると思っています。ただ、それができない、できていない、のは法的責任のあり方であったり、もしくは法的な整備が遅れている事に他なりません。

そのため、数年後「技術的には自動運転は可能だが、人が何処かに介在する」「半」自動運転はあり得るのかもしれませんが。

そんな事を考えると、自動車「のみ」の進化ではなく、自動車とそれらを取り巻く法整備の進化のほうがよほど重要なのではないでしょうか。

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